ソウル・フラワー・ユニオン「満月の夕」

1995年2月14日

中川 敬さん/ソウル・フラワー・ユニオン Vo.

テキスト:小林瑠音

ロック・バンド「ソウル・フラワー・ユニオン」のボーカリスト、中川 敬さん。阪神・淡路大震災当時、「チンドン」スタイルで避難所をまわる「出前慰問ライブ」をおこない、そこから生まれた「満月の夕」は代表曲に。トラッド、ジャズ、ラテン、民謡、と進化しつづける幅広い音楽性と、被災地の人々の悲しみに寄り添い、痛みを解放する、そんな音楽のもつ共振性を体現し続ける活動スタイルには常に多くの注目が集まっています。東日本大震災発生後も「被災地出前ライブ」を慣行。あらためて、被災地で音楽を奏でつづける想いと可能性についてうかがいました。

 

娯楽が必要になる時期が、絶対に来る

阪神・淡路大震災の時は、29歳。北摂に住んでて、けっこう揺れがひどかったんです。はじめの1週間くらいは余震を怖がりながらテレビをずっと見てるというような日々でした。そんな中、メンバーの伊丹英子が「歌いに行かへんか」と言い出して。彼女の頭には「避難所のお年寄りには、そのうち娯楽が必要になる時期が絶対に来る」という確信が、当初からあったんですね。後々、この確信には驚かされることになるんですけど…。
ソウル・フラワー・ユニオンはいわばロック・バンド。当時、年寄りの前で民謡を歌うというコンセプトは、自分にとってそれなりにハードルが高い。でもとりあえず一回はやってみないと何もわからない、ということで、震災から十日目ぐらいの段階でやることに決めました。その後、あらゆるボランティア団体に電話をかけまくって、「ロック・ミュージシャンなんですけど、民謡とか昔のはやり歌とかやります」ってコンタクトを取り始めました。

2月に入った頃から依頼の電話が鳴り始めて、2月10日に、当時避難所になっていた養護学校で初めてのライブを開催しました。それからは、2日おきくらいの頻度で出前ライブをしてましたね。いろんなボランティアに「うちにも来て!」って声をかけてもらって。その時、神戸でボランティア活動をがんばってた人たちは、障害者支援だったりドヤ街での活動だったり、以前から自分の地域で何かをしていた人が多くて。そんな状況だったので、どんどん関西中、日本中にネットワークが広がっていきました。

 

声と楽器があれば、どこでもできる

ソウル・フラワーはそれまでロックというフォーマットの中で活動してたから、ライブをするにはPA(※1)であったり、スタッフであったり、ある程度大掛かりなシステムが必要なわけです。それがいきなり、声と楽器があればどこでもできる、という形態を持ち得たことは大きかったですね。震災後の初期段階では、電気が通ってないというライフ・ラインの問題もあったので、エレキ・ギターを三線に持ち変えたり、キーボードはアコーディオンにしたり、女性陣はチンドン太鼓にしてみたり。それまで興味はあったけど試したことのないアコースティック楽器を手にしてみよう、というコンセプトにしたんです。ちょうど震災の1年前くらいから、自分自身も民謡に興味を持ち始めてて、沖縄の三線を遊びで弾き始めたり、ライブに沖縄のミュージシャンのゲストを呼ぶなどしていた時期。それにちょうど、昔のSP盤などもマニアックに聞きこんでた時期でした。

被災地の出前ライブでは、オリジナルは「満月の夕」だけで、民謡や戦前のはやり唄など、高齢者中心に、みんなが共有できる楽曲をレパートリーにしてました。実際、神戸での経験をきっかけにして音楽への意識が変わりましたね。それまで、例えばニューエスト・モデル(※2)の頃は、ある種「これはアートだ、わかるやつにわかればええ」というスタンスで、被災地出前ライブの経験以降は、ライブ会場を、村祭り的な、ふらっとライブに来てくれた人がすっきりした顔で帰っていける、そういう場所にしたいなと思ってます。

 

おもいっきり泣いたり、笑ったり、怒ったりすることが必要

神戸の時は震災の一ヶ月後に「満月の夕」を書くというような感じがあったんやけど、今回の東日本大震災、言葉を失う、という感じが自分の中にあって。最初の1,2ヶ月は人の音楽を聴く気持ちにもならない、新曲を書こうという気にもならない。それは単に自分が年をとったということだけではなくて、被災の性格が今までと違い、あまりに考えさせられることが幅広過ぎて頭の中で整理がつかない、ということでした。地震、津波、そして原発事故。町ごとの温度差。ナーバスにならざるをえなかった。最初の一、二ヶ月は、人の音楽を聴いて「いいな」という風にはならなかった。他のミュージシャンや音楽ライターも、みんなそう言っていましたね。

3月、4月は、自分自身のライブ活動やレコーディングをしながら、悶々とした気持ちの中、自分の出番はそのうちやってくるやろうな、という気持ちでいました。

5月頭頃に、石巻にボランティアに入ってた友人から「中川さん、そろそろじゃないですか」と声をかけられて、いよいよ始動。震災から2ヶ月たって、避難所では些細なことでケンカになったり、みんなイライラし始めてきていて、そろそろエンターテインメントが必要です、ということでした。やはりみんな、感情を押しこめてるんですよね。避難所という、プライバシーが確保できない、しんどい状況。おもいっきり泣いたり、笑ったり、怒ったり、感情を出すことが必要なんですね。

 

音楽のせいにして、悲しみをぜんぶ出す

2011年は東北の各地で沢山出前ライブをやりましたが、その中で特に印象的だったのが、女川の避難所で初めてライブをした時のこと。あるおっちゃんが、なんともいえない顔で、演奏してる俺らを凝視してたんです。演奏後に近づいてきて、握手を求められて、「音楽ってほんとにいいね」って2度言った後、俺の手を握ったまま大声で泣き崩れてしまった。「おっちゃん、また来るから元気でおってや」って声をかけるぐらいのことしかできませんでした。後で聞いてみたら、子ども、奥さん、両親、家、仕事すべてを津波で亡くした人…。音楽のせいにして、悲しみを出せたんじゃないかな、という話でした。

実は神戸の時にも、よく似た経験があって。1995年2月10日、はじめて避難所で演奏した時、演奏が終わってから、1人のおばちゃんが近づいてきて。相当泣いたんやろうな、っていう顔をしてたんですけど、「ニカッ」って笑いながら俺の背中をポーン!と叩いたんです。「にぃちゃん、ありがとうな。私、今回の震災で旦那も子どもも全部亡くしてん。でも泣かれへんかってん。みんな同じ経験をしてるから。あんたの歌う<アリラン>でやっと泣けたわ」って…。あの瞬間のことは忘れられません。あのおばちゃんの「ポーン!」が、今でも活動の原点になってますね。

「なんでこんな活動をしているのか」ってよく聞かれるんですが、音楽を通して一緒にいい時間をすごせる、ということに尽きるんよね。終わった後に一緒に酒を飲んだり、談笑したりというのもふくめてね。やりがいは言語化できません。「満月の夕」という、本当に多くの人たちに愛してもらえる曲を歌い続けられることにも、喜びを感じてます。何度歌っても、何処で歌っても、いつも違う風景、表情を見せてくれる曲。「満月の夕」みたいな曲をまた作ってくれと言われることもあるけれど、自分にとって、あれは1曲でいい。

 

自分にあうやり方をみつけること

避難所や仮設住宅で演奏することがどういうことかというと…演奏はだいたい昼間や夕食前なので、お年寄りと子どもが多いんです。阪神淡路大震災の初期の頃から、おのずと民謡や古い流行り唄を選曲するようになってました。今回、演奏しに行く前から仲間がボランティアで現地に入っていたので、3月、4月にはほぼ毎日電話で話をしてて、ある日「今度演奏しに行くから、どういう歌がいいやろ?」ってリサーチしてみたら、出てきたタイトルが「おいらの船は300とん」と「斎太郎節」。この2曲は東北で演奏しまくってて、今回「キセキの渚」(※3)というミニアルバムをつくるにあたっても、絶対にはずせない曲になりました。

神戸の震災にまつわる、印象的な話があります。ある若い集団が月一でボランティアに来てたのですが、ボランティア作業が終わったらいつも飲んで騒いで帰っていったらしいんです。はじめはみんな「なんや、あいつらは」という感じやったんやけど、最終的には誰よりも彼らの活動が一番長く続いたそうです。要は、自分に合うやり方をみつけること。そうじゃないと続かない。俺にとっては、それが「ソウルフラワー震災基金」(※4)だったり、「被災地出前ライブ」だったりするんやなぁと思ってます。

 

 

※1 音響スタッフ。

※2 中川敬を中心に結成されたバンド。ソウル・フラワー・ユニオンの前身。

※3 被災地・東北での奇跡的な出会いと、震災からの再生を歌った「キセキの渚」をはじめとし、被災地出前ライブでのレパートリーを収録したミニアルバム。2011年12月21日発売。

http://www.breast.co.jp/soulflower/special/kisekinonagisa/

※4 災害弱者(介護が必要なお年寄りや自立身体障害者の方)に焦点をあてた基金として、阪神・淡路大震災をきっかけに伊丹英子の呼びかけで立ち上げられた。東日本大震災でも、被災地にギターや車などを寄付。

 

【information】

ソウル・フラワー・ユニオン 『闇鍋音楽祭2012』@梅田Shangri-La
3/19(月) GUEST:FRYING DUTCHMAN
3/20(祝火)GUEST:向井秀徳アコースティック&エレクトリック
前売り¥4200-(KIDS ¥2100-)当日¥4700-(KIDS ¥2300-)(オールスタンディング)
※中学生以下は入場無料。(保護者同伴にてご入場ください)

詳細はこちらです
http://www.breast.co.jp/soulflower/schedule/live.html
http://www.greens-corp.co.jp/schedule/info/index.php?event_id=2608

1次調査

年月日
1995年2月14日
背景や目的
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の惨状、復興への厳しい現実、それらに向き合おうとする被災地の人々の姿が歌い込まれている。震災当日の夜、満月がのぼっていた。 関西に活動拠点を置くソウル・フラワー・ユニオンは、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットという別動隊バンドとして、被災した阪神各地の避難所を数多く訪問。1995年だけで100回を越える慰問ライブを開催。
対象
震災でいろんな影響を受けた人たち
内容
被災地での演奏活動
発起人・主催団体
ソウル・フラワー・ユニオン
関係団体・パートナーなど
ソウル・フラワー・ユニオン
特記事項
すなおになれるうた。被災地の方々はおそらく、我々には想像できないぐらい、いろんなことに「がまんして」「がんばって」、前へ進もうとしている。その時に「つつんでくれたり」「そっとおしてくれたり」してくれる、「やさしさ」あふれる活動だと思います。
場所
被災地各地

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