野田燎 交響組曲

合唱とオーケストラのための「祈り/1.17」

1996年3月21日

宇野文夫さん/神戸学院大学人文学部准教授、作曲・現代音楽・音楽評論

テキスト:小林瑠音

大学で作曲、クラシック音楽・現代音楽を研究しながら、ご自身も作曲活動をしておられる宇野文夫さん。震災直後に神戸や大阪で開催されたコンサートについて、ていねいに記録されたノートを見せていただきながら当時の様子をうかがいました。そこには、ギャラリー界やロック音楽シーンの反応とはまた違う、阪神・淡路 大震災と音楽家の関係性がありました。

 

震災直後のコンサート

震災直後、神戸から電車でわずか数十分の大阪では、いくつかのコンサートが通常通りおこなわれていました。

1995 年1月25日、つまり震災から1週間後には、大阪シンフォニーホールで大阪シンフォニカー交響楽団(現在の大阪交響楽団)定期演奏会が実施されました。も ともとは大前哲さんの新曲を演奏する予定だったのですが、震災以降、急きょ追悼コンサートに変更となり、大前さんの新作も追悼の意味をこめたものとして演 奏されました。

また、1月30日には大阪のフェスティバルホールで「朝比奈隆、大阪フィル、ブラームスチクルス」の第2回が予定どおり開催 されました。大阪フィルハーモニー交響楽団の地震後の初仕事で、その指揮をとった朝比奈氏(フェスティバルホール音楽監督/当時)は、リハーサルで「こん な状況だからこそ、よりよい演奏をしよう」と言っておられたとのことです。

 

演奏会で募金活動

そ の後は、演奏会でも募金活動が多くみられるようになりました。1995年7月21日、大阪いずみホールでおこなわれたオーケストラアンサンブル金沢の現代 作品によるコンサート「音楽未来への旅シリーズ」では、コンサートホールで指揮者の岩城宏之氏をはじめ楽団のメンバーの方々が、自ら募金を呼びかけていま した。

そして翌年になると、神戸でもコンサートが可能となっていました。たとえば1996年1月21日、神戸文化ホールで開催された「阪神 大震災鎮魂交響組曲『祈り1・17』」。読売新聞大阪本社の主催でおこなわれたこのコンサートは、大阪センチュリー交響楽団(現在の日本センチュリー交響 楽団)と作曲家の田中良和さんの共催でした。被災地の子どもたちから地震に関する詩を募集して、そこから選んだものを「小さなカンタータ」とし、4つの作 品をあわせて組曲にしました。4曲それぞれを神戸や関西に縁のある作曲家が担当…野田燎さん、中村滋延さん、大前哲さん、矢野正文さんという面々でした。

 

活動の中断と、コンサートホールの被害

し かし、東日本大震災発生後同様に、自粛ムードもありました。いや、正確に言いますと、自粛というよりも物理的、経済的な判断からの中止、延期、ということ です。震災当日の1月17日、大阪のフェスティバルホールでは大阪フィルハーモニー交響楽団が現代作品による定期演奏会を予定していましたが中止となり、 この日のプログラムは、そのまま翌年に上演されました。

また、神戸市立博物館のロビーで毎年開催されていた新作によるコンサート「神戸音楽の展覧会」は、博物館自体が被災したため1995年、96年と中止になりました。

ジーベックホールで私も参加予定だった「ミュージックフロム~スウェーデンからの音楽~」は1995年に開催予定でしたが、1996年2月23日に延期されました。

神戸にあったコンサートホールの多くが震災で被害を受け、三宮の国際会館は崩壊しました。しかし、神戸朝日ホールや灘区民センターは建物が新しく、無事だったので、ある程度の演奏スペースが確保されました。

 

これまでどおり、きちんとやりきる

現 代音楽(クラシック音楽)の領域では、震災に関連づけたプロジェクトが多く立ち上がったということはなかったように思います。「今までどおりのことを、と どこおりなくやりきる」ことで、日常をとりもどすことにつながったのかもしれません。オーケストラなどのコンサートとなると、なかなかフットワーク軽く、 というわけにいかず、カフェや野外などで企画できないということもあったんですね。けれど、阪神・淡路大震災の場合、被災が局地的なスケールだったこと、 もともと文化的土壌があったことが公演の継続につながったのかもしれません。

震災下のアーティストや音楽家の動き方には、それぞれのスタン スの違いがあります。大きなプロジェクトやコンサートを立ち上げるわけではなくても、これまでの仲間と、震災前のスタンスと変わらず音楽をやり続けるとい うことも、ひとつの大切なメッセージなのではないでしょうか。

 

1次調査

年月日
1996年3月21日
背景や目的
野田さんは大阪音大卒業後、ヨーロッパで活躍。2000人収容の大ホールで演奏するなど、順調に音楽家の道を歩んだ。しかし、帰国後の1995年に西宮市で被災。半壊した自宅を脱出し、近所で救出作業に当たったが、がれきから引き出した男児はすでに亡くなっていた。「自分は人1人も救えないのか」無力感にさいなまれ、1週間ぼう然としていたが、サックスを手に取り、ジャズの名曲「サマータイム」を演奏すると「悲しみや憤りが涙とともに、体から抜けていった」と感じた。鎮魂のためのコンサートを開きCD販売。阪神大大震災の経験から1995年に野田音楽運動療法研究所を設立。各地の脳神経外科病院、リハビリテーション病院、障害児教育施設、特別養護老人ホームなどの協力をえて、認知症や植物状態の患者さん、自閉症児などを対象に、トランポリンと音楽の生演奏による音楽運動療法を実施。(参考 http://www.osaka-ikuseikai.or.jp/sonota/file/vector/vector302.pdf)
内容
阪神・淡路大震災鎮魂のための楽曲。
発起人・主催団体
作曲:野田燎 指揮:田中良和 歌:鳳蘭 演奏:大阪センチュリー交響楽団 レーベル:日本クラウン