阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワーク
1995年1月27日小林 郁雄さん/まちづくり株式会社 コー・プラン
テキスト:中野優きんもくせい/復興市民まちづくり
小林 郁雄さん(まちづくり株式会社 コー・プラン)
1995年1月17日の阪神・淡路大震災。2月には被災地からの情報発信『きんもくせい』が始まりました。各地で発行された地域密着型のまちづくり通信を合本、行政の配布資料もあわせて掲載し、3ヵ月ごとに刊行された『復興市民まちづくり』。阪神大震災復興まちづくり支援ネットワークの活動である『きんもくせい』と『復興市民まちづくり』という2つの情報誌がどのように生まれ、何を目指していたのかをおうかがいしました。
普通のまちが普通の姿になっていく様子を伝える
当時、全国各地に届く新聞などの情報では、重要な話やもめた話、うまくいった成功事例などが伝えられる一方、あたりまえのこととして普通におこなわれ、普通のまちが普通の姿になっていく事例は、ニュースとして取り上げられませんでした。失敗例なども表にはあまり出ませんから、そういう事実を全国の方々に知ってもらうには、発信する方が意図して発信しなければなりません。マスコミにはマスコミの果たすべき役割があり、マスコミとして注目すべきことを発信する。だったら僕たちは僕たちで、まちづくりに必要なことを発信していこうと考えました。
それに、すごくいいデザインで有名な住宅は表に出ますが、普通の再開発で生まれた建物などは表に出ないんですよね。どちらも一生懸命取り組んだことに変わりはないのですから、作った人がきちんと発信した方がいい。まちづくりも自分たちから声をあげなければ伝わらないのだから、まちづくりにたずさわる人たちも自身でメディアを持っていた方がいい、ということになって『きんもくせい』を発行し始めました。
3つのきんもくせい
『きんもくせい』の発行は、月に2回ほど。合計7年(トータル10年、断続的に)発行していました。目的は毎回異なり、はじめはリアルタイムでのまちづくり報告でした。地域、団体、行政、関心のある大学の先生やコンサルタントと想いや情報を共有するために制作し、およそ3年で役目を果たしただろうということになって終了しました。
震災発生から5年ほどたつと、検証の時期に入りました。兵庫県や神戸市が検証を始めたので、自分たちも検証をしなくては、ということに。2度目のきんもくせいは『報告きんもくせい』として発行し、まちづくりのさまざまな段階でコンサルタントやまちづくり協議会がどんな活動をし、どういう結果をもたらしたのかを見つめるものでした。これはおよそ2年後に終了しました。
3度目は『月刊きんもくせい』というスタイルで、国からお金をもらって制作しました。大震災後、普通のまちでどんなまちづくりが進んでいるのかなどについて書いていました。自分たちのメディア、自分たちの視点で全国へ発信していたわけです。
最初の3年と次の2年で、愛読者が存在しました。直接送付していた約300人に向けて、途中はFAXで送り、発行を終了するころにはネットを使っていましたね。たとえば、2月にスタートし、5月か6月くらいからは九州大学や北海道大学へファックスして、そこがハブとなり、周辺の方々に送るという仕組みになっていました。だから、実際の購読人数は何人いたか…把握できないくらい、おられたんじゃないかなぁ。今ならネットを使えばそれで終わりだけれど、当時はまだファックスと文字だけの掲示板みたいなものしかありませんでした。そういう時代だったんですよね。
復興市民まちづくりができるまで
ここ(コー・プラン事務所)は西宮から須磨までのちょうど真ん中あたりにある灘区で、建物が壊れたため、少し離れた場所で仕事をしていました。震災当時、神戸の都市計画事務所はほとんど壊れていましたから、都市計画やまちづくりの関係者が必然的に集まってきましたね。さまざまな地区で活動している人たちのネットワークとして阪神大震災市民まちづくり支援ネットワークができたわけですから、いろんな地区の人たちが集まるのは当然でした。
地区内でのアンケートや行政からの提案に対する反応など、地域の役員たちは知っていても、大半の人が避難所や仮設住宅で暮らしたり、親戚の家に避難するなど家を離れていましたから、実際はどう思っているのかがわからない。そんな人たちのためにニュースを書きました。役所が今こんなことを言っている、新しい道路の幅はこうなりそうだ、街路樹は何がいいか…など、そもそも区画整理に賛成なのか反対なのか、という点が役員の方々にとっては心配だったのです。だから2ヶ月か3ヶ月に1回の頻度でアンケートをおこない、今の状況を知らせることでさまざまな意見が集まり、それらを背景にしてさらにがんばることができる、という仕組みができあがりました。
何度も増刷、一躍ベストセラーに
けれどそれは自分の地区に限ったことであり、隣の地区のことはわからない。隣の地区のことも気になりますから、どんなことをしているのか、うまくいっているのか、とだれもが思うわけです。
同じ事業をおこなっても、地域によって進み方が異なるのも当然で、他の地区の様子が気になるのもあたりまえ。管轄する役所も違いますから、定期的に意見交換会をおこなっているといっても、西の地区を担当している人は東の地区が何をしているのか、なかなかわかりづらかった。情報が現実に追いつかず、よその地区が何をしているのか知りたくて、いろんな地区の情報がリアルタイムに集まるこの事務所(コー・プラン)に大勢の人が集い、他の地区の情報をコピーさせてほしいという需要が生まれました。150ページほどをコピーすると1枚10円の計算で1,500円ほどになりますから、学芸出版から1,500円くらいの本を発刊したらどうかという話になり、『復興市民まちづくり』が生まれました。Vol.8まで発行しましたね。役所が発行しているニュースはもちろん載せていますし、いろんな地区の情報を掲載していました。
もともと需要があって始めましたから、はじめのころは日本中の人が購入し、3ヶ月間ほどはベストセラーになりました。1000部ずつくらい刷って、何刷も増刷していたのです。最後の方は500部くらいしか出ませんでしたけどね(笑)。こういう情報誌は、いつまでも必要とされるものではありません。
言葉の背景を伝えるために
活動を進めていくうち、さまざまなネットワークで取り組んだ仕事の英語版をつくるという依頼が舞いこみました。
再開発を単純にre-developentと訳すだけでは、どうしても正確なニュアンスが伝わらない。round re-adjustmentと表現し、区画整理事業をおこなっていますと言っても伝わりません。それがどういう意味なのか、なぜそういうことを震災復興の過程でおこなわなければならないのかという説明がなければならないのです。
なぜround re-adjustmentをしているかと言えば…たとえば、火事で燃えてしまった狭い街区には道路が必要である、と伝えるには区画整理をおこなう必要があると説明したうえで、round re-adjustmentという行為を復興事業の一環としておこなっていると説明しなければ、理解できるものではありません。まちづくり協議会はなぜ必要なのか、ということも理解してもらうのはむずかしい。ですから言葉の辞書ではなく、言葉の背景を伝えるために書いていたんですね。