アート・エイド・神戸
1995年3月〜2001年1月17日島田誠さん/ギャラリー島田 代表
テキスト:松本ひとみ島田誠さん(ギャラリー島田 代表)
1978年に「ギャラリー島田」(※1)を創設されて以来、アーティストたちの発表の場を作り、様々な形での支援を続けてこられた島田誠さん。震災直後に設立された、アーティストの緊急支援のための神戸文化復興基金「アート・エイド・神戸」のことを中心にお話いただきました。
アート・エイド・神戸——アーティストの緊急支援
震災直後から「アート・エイド・神戸」というアーティストの活動支援を始めました。まず1995年2月17日にチャリティ美術展を開催しました。震災直後、画家たちは、なにかできることをやりたいという思いを強く持っていました。このチャリティで500万ほどの資金が集まり、これをもとにアーティストの救援を始めました。アーティストが活動資金に充てられるよう、1 人あたり10万円を支援するというものです。A4/1枚の申請用紙をもらい、クイックレスポンスで援助しました。
審査基準は3項目のみでした。
(1)プロとしての活動を10年間続けていること。
(2)震災で具体的な被害を受けていること。
(3)以上の2点を証明する知人の証言。
性善説の考え方で、申請が来たものに関しては断らずに、基本的に援助をしました。公平性についてのクレームが来なかったか、という質問をされたことがありますが、その問題はほとんどありませんでした。というのも、10年間作家活動をしてきたという条件が、結構高いハードルになっていたからです。ただ、被害の程度に応じて満額までは援助しない方もありました。結果的に、約83人に合計730万円の援助をおこないました。
この援助の仕組みは、阪神・淡路大震災の1年前(1994年1月17日)に起こったアメリカ・カリフォルニアのノースリッジ地震の際に、アメリカのNPOが始めたものです。ある日、新聞でこの活動についての記事を読みました。「文化的な復興には、まずアーティストが立ち上がらなければいけない。NPOからの10万円の援助は、みんなありがたかった。日本にはこういった活動をするNPOがないから、実現は無理だろう」と書いてありました。当時の日本は、NPO法すらない時代でした。それなら私がやりましょう、と。
活動を続けるにつれ、神戸のアーティストたちがアート・エイド・神戸という旗印のもとに立ち上がっていく姿が見え、さらにお金が集まってきました。東日本大震災で経験されていることですが、義捐金を送っても、新聞を見るかぎり現場には届いていない。徐々にチャリティ疲れが見られ、届かないならやっても意味が無い…という状態に陥ってしまいます。しかし、アートの現場に直接届くという姿が見えれば、援助は集まります。それを元手に事業を進めていくとさらに注目され、膨大な数のメディアに掲載していただけることになりました。
寄付することが喜びであり、ひとつのインセンティブである
いま東北では、それぞれの団体がインターネットを通じて基金の受け皿を作り、個別に支援を求めています。これはインターネットの時代だからできることで、阪神・淡路大震災とは時代背景が違います。支援にはいろんなルートがあっていい。市民が生活の中で文化を大事にし、文化を支えていくことが大切です。日本では企業人の力が強いのですが、これからは市民が新しい公共をつくっていくべきだと思います。われわれのような小さな基金が公益財団になれたのも、日本で初の例といわれたくらいで、市民自らが負担し自分たちでやっていくという「市民メセナ」の先駆けだったと思います。
もともと、1992年に若い芸術家を支援する公益信託「亀井純子文化基金」を設立していました。震災がきっかけというわけではなく、このような考え方は私にとってはごく自然なことだったのです。今は公益財団法人「神戸文化支援基金」を設立しており、基金は約3,500万円です。市民の皆さんからの寄付で成り立っており、1,000万円以上ご寄付いただいた方は名前が残ります。積立でも可能なので、「名前を残したい」と、すでに400万くらい寄付してくださっているメンバーもいらっしゃいます。
どうして、特定のスポンサーをもたない財団が、市民の寄付だけで成り立っているのでしょうか。なぜなら潜在的に有意義なことにお金を使おうとする人はたくさんいるからだ、というのが私の考えです。そういう潜在的な気持ちを引き出す役がいないのが、不幸なのです。モノを買うより寄付をすることが喜びであり、満足を生み出すということ、ひとつのインセンティブであるという状況を作り出さないといけないのです。
今年はタイガーマスク現象が起こったように、みんなが何かしらの寄付をする年の幕開けです。自分たちの心が洗われ、希望のシンボルとなるような活動、団体などにはお金が集まってくる。文化にもそういうお金の集まり方はあると思います。
寄付を集めるには、自分たちの活動を社会的に認識してもらうことが大切です。アート・エイド・神戸の場合、ホームページなどで活動を告知すれば、ギャラリー島田の活動を常々みんな見ているので、それに対する信頼があるため参加してくれます。また、もうひとつの運営ポイントとしては、事務局を他のNPO法人に委任していることです。当ギャラリーでは、財団専任のスタッフや事務所は設けていません。この財団はひとつの装置です。寄付を集めて、助成するというシンプルなやり方です。このようなやり方を設計し、コンセプトづくりとファイナンスをしたのは私ですが、エンジンを整備して動かしていくのは他の人でもできるので、色々なところで立ち上げてほしいと思っています。うちの財団はたまたま芸術文化ですが、社会問題の解決を目指すNPOなどでも同じ考え方ができます。
社会に貢献する仕組みを自然にできるように仕組んでいく
「ぼたんの会」(※2)という活動を発案し、その運営に参加しています。小さな団体は、単独では有名な人を呼んでコンサートを開催するなどは難しいので、複数の団体で共同主催し、共同でチケットを販売、チケットの売り上げの半額を自分たちの活動に充てるという仕組みです。
活動の中でも、特に多くの方に参加していただき寄付が集まるのは「志縁(しえん)パーティ」です。会費は1万円。1枚チケットを売れば、5千円が活動費になります。団体が活動資金を得るために頑張ってくれ、少なくとも毎回200人の参加があります。売ったら売っただけ、資金を獲得できるのがポイントです。
重要なことは、参加費1万円にふさわしいパーティを5千円で用意することです。出演する音楽家や司会はボランティアで協力してもらい、ホテル並のクオリティの食事を提供します。寄付だから質がよくない、というのではなく、ロケーションもよくおもてなしも素晴らしいパーティにするのです。ゴージャスな、クオリティの高いパーティに仕上げているので、参加してくださる方は、寄付しているという意識はあまりなくパーティを楽しんでいらっしゃいます。
ぼたんの会は、チケットを売るか、売れなければ無料招待か、という二者択一とは違う第三の方法をとっています。このように社会貢献を自然におこなえるよう、いかに仕組んでいくかということが、これからの社会を作っていく大事なポイントのひとつだと思っています。
アーツ・エイド・東北の設立に協力
東日本大震災後、「アーツ・エイド・東北」(※3)という組織が6月22日に立ち上がりました。
2010年の秋、ひょうご震災記念21世紀研究機構という災害文化を研究している団体が、『災害対策全書』という、災害が起こった時のためのあらゆるジャンルのマニュアルを作る準備をしていました。わたしは文化の欄を書くように頼まれ、芸術文化による震災復興策について書きました。東北の震災を想定していなかった時のことで、この執筆をもって私の震災関連活動の締めくくりとしたいと思っていました。しかし、3月に震災が起こってしまったのです。
私が書いたのは、現場ではこういうことが有効だ、という臨床の処方箋みたいなものですから、発表した以上は現場のお手伝いをしなければいけないな、と思いました。そこでまず『災害対策全書』の編集長に、私の書いた原稿を出版前に公開してもいいか、と聞きました。許可をもらったのでメルマガで発信しました。今はウェブ上で読むことができます(※4)。
次に、東北地方の文化的なキーパーソンを知りませんか、と周りに尋ねました。せんだいメディアテーク副館長の佐藤泰さん、アーツ・エイド・東北の代表世話人になられた志賀野桂一さん、ARCT(Art Revival Connection TOHOKU=アルクト)の事務局長をされている鈴木拓さんのお名前が挙がってきました。佐藤さんに連絡をとり、話を聞いてほしいと申し出ました。震災後1ヶ月の大変な時で、メディアテークも被災している状況でしたが、佐藤さんが「話をお聞きしましょう」と言ってくださり、十数人のキーパーソンに集まってもらい話を聞いていただきました。
具体策や組織案などには一切口出しせず、私の考え方やアート・エイド・神戸のスピリットだけをお話しました。他でもないその地域に住む人が、自分たちで立ち上がっているという旗印が外部から見えるようにして欲しい、そのための基金を作ることが必要である、という話をしました。それだったら僕らもできるかもしれない、と言っていただき、その後何度かやり取りをするうちに、「今一番必要なことが何かということや、何かをやらなきゃいけないとモヤモヤしていた気持ちがクリアになった」と言ってくださいました。そして、アーツエイド東北を立ち上げてくれたのです。彼らは東北六県の文化的復興を目指し、事業助成を始めようとしています。また、公益財団法人を目指すとはっきり宣言されています。
この活動は緊急支援的なものです。長期の復興支援の段階になってくれば別のやり方があり、国や自治体が担うべき部分があります。その他にも企業の社会的貢献という形での支援やNPOによる支援などがありますが、それらとはまた別のやり方として、東北の人たちが自ら東北の人たちのために立ち上がるべきだと考えました。
支援を一方的に受けるのではなくて、自分たちで「こういう形で進めたい」「この部分には支援が必要だ」と、毛細血管のように、国の制度では届かない、地域の人でないとわからないことをカバーするのです。日々の生活を送り、その場所の文化を担っているからこそできることです。「活動資金が必要」「手伝ってくれる人がほしい」というように自ら外部へニーズを出していく。外からの支援というより志縁のコーディネイトももちろん必要ですが、東北の文化に関わっている人たちが自ら立ち上がる姿が必要だと思います。アート・エイド・神戸のスピリットは、まさにそういうものでした。
※1 「ギャラリー島田」ウェブサイト http://www.gallery-shimada.com/
※2 「ぼたんの会」ウェブサイト http://www.stylebuilt.co.jp/kikin/button-club/
※3 「アーツ・エイド・東北」ウェブサイト http://aat.or.jp/
※4 島田誠「芸術文化による復興とその支援策」、『災害対策全書』 www.gallery-shimada.com/cultural/pdf/Disaster_complete_book.pdf