「REPORT ON−1月17日を通過して」&「震災と美術をめぐる20の話 1月17日を通過して」
1995年4月20日山下里加さん/アートジャーナリスト、京都造形芸術大学 芸術表現・アートプロデュース学科 准教授
テキスト:小森福見美術ライターとして多方面で執筆され、アートと社会の関係性をテーマにアートプロジェクトを取材、企画しておられる山下里加さん。阪神・淡路大震災が発生した2ヵ月後から20人の美術関係者にインタビューをおこない、作家の赤崎みまさんと共にまとめた著書『震災と美術をめぐる20の話』(発行:ギャラリー ラ・フェニーチェ)出版までのいきさつや、阪神・淡路大震災当時の状況についてうかがいました。
『震災と美術をめぐる20の話』を作ったきっかけ
古くからの友人で、芦屋に住んでいた美術家の赤崎みまさんから「何かしましょう」と言われたのがきっかけでした。当時、私は大阪に住んでいたので揺れはほとんど感じず、テレビや新聞などの情報だけで、大震災へのリアリティがありませんでした。赤崎さんに声をかけられて何をすべきか考えた時、それまでと同じ仕事を続けること、つまりインタビューをすること、文章を書くことが私にとっては自然でした。
「何もしない」というアクションを記録する
この本に登場する20人は、以前からの私の知り合いだったり、紹介してもらうなどしてインタビューしていった方々です。私自身が「何かをすべき」という発想がなかったところから、当初から「大震災に対する特別なアクションを起こしていない人」にも話を聞きたいという思いが強くありました。
震災後は、「何か、しなきゃ」という強迫観念みたいなものが存在していると感じており、実際、マスメディアを通して世の中に出るのは、アクションを「起こした」情報のみです。その情報だけが記録され、後世に残っていく。一方で、「何もしない」という選択をした人は忘れられていく。そこで、アクションを起こした人たちだけでなく、何もしていない人たちがどう考えていたのかを知り、遺したいと思いました。「何かをする」と「何もしない」が並列に並んでいる現実を記録したいと思っていたのです。
何もしない、という選択
当時、「何もしない」と公に発言するのはとても勇気のいることでした。実際には、「おまえは何もやっていないじゃないか」と口に出されることはほとんどありませんでしたが、なんとなく空気として伝わるんですよね。特に日本人は空気感に敏感で、警戒心が強い気がします。何かの拍子でパッとひっくり返って、暴力的なプレッシャーが生まれる一歩手前の空気感を、それぞれの方が感じていたように思います。アクションを起こしている人たちに対しても、無言のプレッシャーがあったと思います。どちらに転んでも、何とも言えない圧迫感がありました。もしかすると今の東京も似たような状況になっていて、しんどいのではないでしょうか。当時は、それが嫌で、私はこの本をつくったのだと思います。
当事者って、だれのこと
阪神・淡路大震災では、局地的に被害が集中しました。駅ひとつ離れるだけで、被害を受けた非日常的な風景から被害を受けていない日常へ、がらりと世界が変わります。その落差についても知りたいと思いました。大阪に住む私にとっては、周囲にはいつもと変わらない日常があり、電車で1時間の神戸が震災で被害を受けて非日常になっていた。けれど神戸で暮らす方々にとっては、まったく逆の状況が生まれていたのです。インタビューを進める中で、どちらが入れ子の外なのか中なのかわからなくなってきて、当事者とは一体だれのことなんだろうと考えました。
インタビューの発表の場としては、赤崎さんが企画された展覧会にあわせての発表を考え、各作家の作品とプリントアウトした原稿を展示しました。インタビューを受けてくださった方には、原稿を必ずチェックしてもらい、長い時間をかけて校正をいれ、お互いに納得した上で発表しています。
アートの状況の違い
東日本大震災が起こった今、この本をつくれと言われても同じものはつくれない。当時の私は、現場近くの関西に住んでいてマスメディアに対してとても怒っていて、そのパワーをもとにつくったようなものです。東北での状況は、私はマスメディアから知るしかなく、現実との「落差(怒り)のパワー」を私は得ることができないのです。私がテレビを見なくなったことも関係しているかもしれません。
また、アートそのものについても、今と当時の状況は違ってきていると感じています。当時はチャリティー活動が非常に多くおこなわれており、「アートは現場では役に立たないから、お金に換算して届けよう」というもので、私にはそれが疑問でした。
ですが、この16年間にコミュニティ、コミュニケーション、地域に対するアート側からの関心が高まり、物事を考えるベースのひとつに「コミュニティ」が当然のようにある。物としてのアートとは違う、別の考え方が浸透してきたように思います。当時はアートという土俵はひとつだったけれど、今では幾重にもレイヤーが重なり合っていて一言では説明できません。今は、アートでアクションを起こせるのりしろが増えてきていると思うので、そこで動く人たちを応援したい、もっと一緒に考えていきたいという気持ちがあります。
今、私は別の怒りがあります。私が接している京都の若者たちは、何もやらなくてもいい「いいわけ」を探している気がします。「やらなくてもいいんだよ」「自分のできることをやればいいんだよ」と誰かに言ってもらいたい、罪悪感をぬぐってほしがっているような風潮を感じたのです。私は、彼らに加担する気はありません。「私は何もしない」と自分で判断し、その判断が何だったのかを考え続ければいいと思うのです。
問われるのは、それまでの日常
2011年5月に会津にある福島県立博物館に行きました。前年に町ぐるみで開催された『漆の芸術祭』の取材に行った場所で、企画者である博物館の学芸員の方々と会ってきました。会津では、居酒屋で博物館の学芸員の方々とたまたま居合わせた中学校の先生方と次のアートプロジェクトについて盛り上がる。商店街のイベントに高校生の頃から博物館に出入りしていた大学生が手伝いにくる。そうした日常を見聞きしてきました。つまり、『漆の芸術祭』でつくられたアーティストたちとの関係や地域とのつながり、ノウハウが震災後に生きているのを目の当たりにしたのです。むしろそれしか使えないのだということをあらためて実感しました。福島に震災後に持ち込まれた新しいプロジェクトは多々あると思いますが、それを地につけていくのはそれまで培った関係性なのだと私は思います。
震災が起こったからといって、新たに何かしようとしても「効かない」のです。非日常的なできごとが起こった時に問われるのは、それまでの「日常」がどうだったのかということなのです。
社会全体に、アートの視点を生かす
現在の神戸の町並みは震災以前と変わっておらず、同じような都市をつくり直しただけになったなぁと思います。今思うと、もうちょっと違う提案ができたかもしれません。
東日本大震災が起こった現地で活動している学生の1人が、「人の観点、社会のしくみ、まちのしくみ、アートのしくみが、もしかしたら根本的に変わるかもしれない。僕らは、その節目となる現場に居合わせているのかもしれない。だとすれば、自分たちの目で見ておかないのは損だと思う」と話していました。若い人たちがそういう意識をもって関わっていることは、阪神・淡路大震災の時にはなかったかもしれません。社会全体の動きとしてとらえた時に、建築やデザインだけでなく、アートの視点が活かせるかもしれない…。自ら決め、自ら治めるという「自治」が起こるのかもしれない。
そうしたしくみから考えていこうという動きは、ライターとして取材し、その現場を記録したい意欲にかられます。同時に、それは私が今いる関西でも起こっているのかもしれない。とすれば、どこにいても、やるべき仕事はあるのだと思います。
1次調査
日時補足
「震災と美術をめぐる20の話 1月17日を通過して」 1995年9月28日発行背景や目的
作家の赤崎みまの企画運営により、グループ点「REPORT ON−1月17日を通過して−」をギャラリー ラ・フェニーチェで行なった。展覧会場では作品の他に、山下里加による美術関係者へのインタービューが発表された。その後、インタビュー集を書籍『震災と美術をめぐる20の話 1月17日を通過して』としてまとめた。 震災を経験した美術関係者それぞれの思い、アクションなどを聞き取りまとめることで、美術の今後について考えることが目的。対象
美術関係者、一般内容
「REPORT ON−1月17日を通過して−」出品:赤崎みま、粟国久直、井沢以佐子、井上聡子、岩野勝人、岡田直子、川西潤一、小谷泰子、澤田語郎、志智正、館勝生、田中朱実、田中美和、中澤照幸、浜本隆司、福本恵美、堀尾貞治、マスダマキコ、水口麿紀、三村逸子、渡辺晶子
『震災と美術をめぐる20の話 1月17日を通過して』
畑祥雄、椿昇、森村泰昌、熊谷寿美子、中井泰之、川崎晃一など、現在も関西のアートシーンで活躍しているアーティスト、学芸員、ギャラリスト計20名のインタビュー。個人のエピソードや美術に関すること、REPORT ON展へのコメントなどが含まれる。